はりねずみ通信
2018.01.15
どう答えるか
ある牧師から印象的な話を聞いたので、書いておきたい。
「夜と霧」を書いたウイーンの精神科医、ヴィクトール・フランクルがこんな言葉を残している。
わたしたちは人生の意味を問うてはいけない。そうではなく、問いの前に立っているのだ。
人間の前には、理不尽と思われることが次々に起きる。
「なぜ、自分にこんな悲しいことが起こるのか」
「こんなに苦しい理由はなんだろう」
家族を亡くしたり、病気に見舞われたり。他の人から傷つけられたり、理由のない批判にさらされる。
私に近い話でいえば、動物が病気になって辛い思いをしている人、予期しない死によって悲しんでいる人と多く出会う。
そのとき、なぜ自分の人生にこんなことが起こったのか、と考えることは当然のことである。
その状況が受け入れられず、苦しければ苦しいほど、そう思う。
けれどフランクルは、そういった場面で「人生の意味を問うてはいけない」という。
問われているのは私たちである。
人生からの問いに、どう答えるか。それを求められている、と。
ある飼い主さんからメールをいただいた。
「(飼っている動物の)病気を宣告されたことは辛かったけど、かかわり方を変えるきっかけになればと思っています」
と書かれていた。
病気になってはじめて彼らと暮らす意味に気がついたり、亡くなったことでどれだけ大切だったかを知る。
また、いまはその意味がわからなくても、辛いと思われるそのできごとにもきっと理由がある。
そう思うことが、心の支えになってほしいと思い、書いた。
1件のコメント
辛い事が起こると どうしても、変えられない過去の事を つい考えてしまいます。変えられる方は未来なのに。
私は正に、そんな狭間で もがいています。自分で自分に謎かけばかりして 煮詰まった頭に、
”問われているのは私たち”という考えは、新鮮でした。こうやって 少しずつ前へ進みたいです。
単純に嬉しかったです(^_^)
ぼてちんさん、「どうしてなのか」と考えてしまうのが人間なのでしかたがないのですが、いろいろなできごとが自分に教えてくれることや、そこから何を学ぶかという逆の視点をもつことで、少し前へ進めることがありますね。