はりねずみ通信
2016.04.12
AIと人
いま色々話題になっているAI(人工知能)をつかって、大学の試験問題を解くチャレンジがあるという。
まだまだ合格点には届かないらしいが、研究の過程で、意外なことがわかった。
AIがまだ正解率が低いのは、問題を解読する能力が低い(つまり、文章読解能力が低い)ことによる。
ところが、対照となる生身の人間も、想定する以上に文章を把握する能力が低かったのだそうだ。
若い人は本を読まないから・・ということだけではない。どうも、人間自身が文章の正確な把握に対して、「ある欠陥」が存在するようなのだ。
ここからは、私の想像なのであるが、この「欠陥」こそ、人間である所以(ゆえん)なのではないか。
一つの文章を読むとき、10人の人がいれば幾通りもの解釈をする。
通常はそれまでの文章から読み取れる文脈で、あいまいとも思われる内容を、自分なりに解釈するだろう。そもそも言葉には抽象的な側面があるためである。
たとえば「崖っぷち」というと、物理的な「崖の縁」と心理的な意味がある。「彼は周りから責められ、崖っぷちに立った」というと、心理的なことなのか、自殺しようとして崖に登ったのかは、文脈を見なければわからない。
そういう抽象的な表現をどう解釈するか。
複雑な形容詞や隠喩を含んだ文章では、ひとによって微妙な差が出ても不思議ではない。
若いときに読んだ本を、もう一度読む機会があるとき、
「これはほんとに同じ内容だろうか?」
と思うことはないだろうか。
時間によっても、文章の解釈は変化する。
AIであれば、同じ文章はいつも同じ解釈をするはずである。
人間はいかに曖昧な生き物であるか、と思う反面、その「欠陥」があるがゆえに、人間は豊かである、と思う。
AIなんかに負けない!
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