はりねずみ通信
2016.11.28
経験について2
週末にピアニスト、アンスネスのコンサートに行った。
いくつかの曲の中では、知っている曲もあるし、知らなかった曲もある。聴いていくと不思議なことに気がついた。知っている曲のほうが集中できるのである。
知らない曲は、「はじめて会った人」のようになんとなく馴染みにくい。
知っている曲は、知り合いに出会ったようなものだ。
「知り合い」のほうが、曲の繊細な表現や、音の色彩をより深く理解できるような気がする。
これは手術でも同じである。
経験したことのない手術をはじめて行う場合は、テキストや手術ビデオを何度もみて、経験した人と一緒に行うだろう。そのとき、いくらあらかじめイメージしていたとしても、実際の手術はようすが違う。ただ言われるままに手を動かすことになる。ところが、同じ手術を何例も行っていると、だんだんと馴染んでくる。そうすると、全体を見ることができるようになり、細部の理解が可能になる。
経験する、つまり「よく知っている」状態になることは、より深く洞察するのに必須のことだと思った。
では、実際の手術で経験を積めばいいのか?それは否、である。経験の浅い人が、難しい手術に「挑戦」してよいはずがない。
これが医学や獣医学のパラドックスだった。
若い人が手術を学ぶとき、あらかじめ経験できる疑似モデルをつくることが、近年医学で取り入れられている。3Dプリンタなどを使い、本物そっくりの臓器を作るのである。
そういったものを使い、あらかじめ手術を「知っている」ものにすることが、今後獣医医療でも普及すべき事柄だろう。
・・などと帰りの電車で考えていた。
あれ、なんのためにコンサートに行ったんだっけ。
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