はりねずみ通信
2015.09.04
松本へ
小澤征爾さんが総監督をする、セイジオザワ・松本フェスティバルのプログラムの中のマチアス・ゲルネ(バリトン)のコンサートに参加するため、昨日、長野県松本へ行ってきた。
(前日には小澤征爾さんの80歳記念コンサートが行われ、ピアニストのマルタ・アルゲリッチの演奏などがあった。また村上春樹さんら著名人の参加もメディアに報道されていた。が、それには参加せず)
松本には行ったことがなかった。
友人が松本で動物病院をしている、勤務医だった渡邉先生の親戚がクレープ屋をしている、小澤征爾さんが長年音楽活動をしている町。それくらいのイメージである。
今回、駅前のそば屋でざるそばを食べ、会場へ向かう途中で松本城をちらっと見たり、タクシーの運転手さんと少ししゃべったり、古くから続いている老舗のパン屋さんで焼きたてのパンを買ったり・・。
たったそれくらいだが、この町にちょっと触れた気がした。
今回の目的は、マチアス・ゲルネの歌うシューベルトの歌曲「冬の旅」を聴くことである。
いままで、オーケストラの曲ばかりを聴いてきたので、声楽のすばらしさを再認識した。人間の声ほど、すばらしい楽器はない。ドイツ人らしいがっちりとした体から発せられる繊細な声の響きは、何に例えればいいのだろうか。複数の楽器で合奏される音楽と違い、人と人が一対一で会話するような、直接胸に響いてくるような感覚なのである。
加えて、フォルテシモで歌うときの音量は、ホール全体が響くような大きさなのだ。人の身体からこれほど大きな声が出るのが、信じられない。しかも、すべてが響き、というような美しさなのだった。
「冬の旅」は、若者が悲しい思いを抱いて旅する詩にシューベルトが曲をつけている。そのため、ドイツ語の歌詞の翻訳を見ると、胸が締め付けられるような内容である。悲しさの中には美しさがある。私は冬の旅の終盤で歌われる、墓の場面でのピアニシモのコラールのような声が忘れられなかった。
「僕が死ぬとき、この部分をレコードでかけて」
と妻に頼むと、約束してくれた。
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