はりねずみ通信
2016.06.09
彼らの流儀
一緒に暮らしていた動物が亡くなったとき、だれもが悲嘆に暮れる。
かける言葉も見つからないことも多いが、どう心を持っていけばいいか、私なりに考えていることを書きたい。
いままでそこに居た存在がなくなる。そのショックはとても大きいので、動物の最期に人の意識が集中することが多い。そのため、亡くなったあと思い出すのは最期の時だけ、ということになりがちである。
「病気にもっと早く気がついてやればよかった」
「最期の時、一緒にいてやれなかった」
そう後悔される。
強くそう思えば思うほど、強調されて、悲しみが続いてしまう。
人間は、「物語り」で物事を考える生き物である。
はじまりがあって、終わりがある。ひとつのストーリーのように、一生を考える。
そのため、予期しないような早い死には、気持ちがついていかない。
ところが、動物は自分の生涯をストーリーで考えない。
毎日一瞬一瞬を生きているのだ。
だから、人間が考える物語りに動物を当てはめるのは、彼らの流儀ではないような気がするのである。
別れるとき、
「わたしの家にきてくれてありがとう」
そう言ってもらいたい。一緒にいた一日のことを、思い出に残してほしい。
もしかすると、こう書くことが飼い主さんの気持ちを傷つけることがあるかもしれない。
一緒に暮らしてきた家族なので、動物と人間が違うなんて言ってほしくない。そう思われることも、想像する。
それでも、長い間獣医師をしてきて、飼い主さんの気持ちも痛いほどわかる反面、動物たちの流儀で見送ってほしい、と思うのも真実なのである。
2件のコメント
先生こんばんは。
月日が経つのは早いです。
今年の6月できなこが旅立って2年です。。
心が壊れてしまうのではないか・・と思いました。
その時の先生のブログに・・
「この世界の、同じ時間と空間を共有したことを喜ぶのが彼らの最高の弔いになるのではないか」と書いてあるのを読んで
少し心が落ち着いたことが思い出されます。。
やはり・・子供が先に逝く・・そんな気持ちになってしまいます。。
でも・・・・時間が哀しい気持ちを、優しい思い出にかえる事が
出来ました。。
・・いなくなることは、考えたくないですね。。
きなこさん、もう2年になるのですね。
やさしい思い出の気持ちで過ごされていることを、本当にうれしく思います。
「わたしの家にきてくれてありがとう」という言葉に涙が出ました。
私は今までにたくさんの動物を見送ってきました。
毎回「ウチにきて良かったって思ってもらえる飼い主でいられたかな」と反省と後悔ばかり。
私は免許がないので近くの動物病院に愛犬と通っていたのですが、「もっと悪くなってから手術しましょう」と言われ毎月通い、数年経過していざ悪くなったら「手遅れです」と。
「車がある家だったら何件でも回ってしっかり診てくれる病院を探せたかもしれないのに」、「疑問があったのに反論するようで、もし見放されたら…と恐怖で言えなかったけど、絶対言うべきだった」など、今でも後悔しかありません。
別の動物病院に愛鳥を連れて行った時は、「何の病気か見当がつかない」と。
「特徴的な3つの症状が出ているのでこの病気では…」と私が言うと、「ネットで調べてきます」と席を離れ、「そのようですね」と戻ってきて「様子を見ましょう」と言われました。
「これではダメだ」と絶望。
「明日かない動物病院に行ってみよう」と決めたのが、その日、忘れもしない火曜日でした。
診療時間を検索したら午後の診療はもう終わっていて、水曜の診療ははお休みと…。
「木曜には必ず行こう! 早く明日になれ!」と祈る思いでしたが、愛鳥はその水曜日に亡くなりました。
その数年後から、別のコが先生のところにお世話になっています。
先生やスタッフの皆さんをずっと見てきて、「あの時、水曜日でも電話くらいすればよかった。もしかしたら急患で診てもらえたかもしれないのに」とか、「別のコの時も愛犬の時もこちらに来ていたら結果が違ったかもしれない」なとど感じてしまい、待ち時間に後悔していることがあります。
今月27日で愛犬が亡くなって10年。
後悔しかありませんが、近い病院ですぐに駆けつけられ、看取れたのが唯一の救いです。
思い返せばこの10年、「ごめんね」しか言えていません。
大切な時間をたくさん共有して素敵な思い出も残してくれたのに、後悔しすぎていまだに「ありがとう」が言えないのです。
これからは後悔ばかりではなく、「わたしの家にきてくれてありがとう」という言葉も大切にしたいと思いました。
それを言いたかっただけなのに…長々と失礼しました。
クロさん、ありがとうございます。お気持ちよくわかります。
命に関することは、人間の意思ではどうしても動かせないことも多いです。だから、自分の力や想いが届かなかったことを嘆いたり後悔するより、今一緒に生きていることを喜びたいですね。私自身も、なかなかそのようにできないので、「ありがとう」と言える日々を過ごしたいと、いつも思っています。