はりねずみ通信
2015.11.02
学会の役割
おつき合いのある工務店のKさんに、
「先日学会があり、東京へ行ってきました」
と話をすると、興味を持ったらしく、こんなことを訊かれた。
「どんなことをするんですか?」
いろいろな専門の分野の講義を聴いたり、自分でまとめたデータを発表したりするんです。
そういうと、
「発表したら、講演料など出るんですか?」
という。普通の発表では、交通費も講演料も出ないのは当たり前なのでそう答えると、腑に落ちない、という顔をした。それだけの費用や労力をかけてどうして出かけるのか、よくわからないようだった。
よく考えればそうだよなあ。と、自分でも考えてみた。行動の根本はなんだろう。
獣医医療を進めるため、というのは大義ではある。同じ分野に興味がある人から、意見を聞きたい、というのもあるだろう。
でもそれ以外に、「人から認められたい」という人間の根本の心理があるように思う。
とすると、多くの学会ではその欲求が満たされないことになる。
発表7分、質疑応答3分で、次から次へと進行してゆく。ときどき質問ゼロのときもあり、自分がまとめたものを人が理解できなかったのではないか、とちょっと不安になる。
ただ、地道に発表していくと、それを見ていてくださる方が誰かはいる。
編集者の見城徹さんの著書に、
「人は自分が期待するほど、自分を見ていてはくれないが、がっかりするほど見ていなくはない」(講談社)
という長いタイトルの本がある。まさに、その通りだと思う。
どこかの誰かが見ていてくれて、そこから小さなつながりが生まれることがある。
私がこの10年で知り合いになった獣医師の先生方とのおつき合いは、そういうちょっとしたつながりからはじまった。
ただ、結果として、人から認められる、という目的は達しているのかもしれないが、学会そのものが果たす役割についてはちょっと考えてしまう。お互いが認めあえるような、もっと直接的なアプローチはないものだろうか。
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