はりねずみ通信

2015.11.14

へこたれない気持ち

いまはなんでも手に入る時代である。
特に「情報」はとても簡単に入手できる。図書館で調べたり、よく知っている人にアポイントメントをとって聞きに行くということは、滅多にない。おおまかなことは、ネットで調べがつくからだ。
情報というものは、「手順」と同じである。
Aという人がBという場所に生まれ、Cという学校で学び、Dという発明をした。
そういう流れのようなものは、調べればすぐわかる。
ところが、それにまつわるディティールや、Aという人の思い、どんな迷い道をしてそこへたどり着いたかなどの手触りのようなものは、よくわからない。

私はなんでも手術をたとえにするが、教科書で手術の手順を学んでも手術ができるようにはならない(もちろん、手順を学ぶことは必須であるが)。
自分で手を動かして行ってみるとわかるが、どんな手術でも「うまくいかない」と思う瞬間がある。どうしてうまくいかないか瞬時に考え、修正する。その繰り返しで、手術は上達するのだろう。
難易度が高い手術では、その「段差」が大きい。修正すべき段差が大きいほど、頭で考えることは多くなる。そこを考え抜いて突破することで、次に進むことができる。

この、考え抜いて突破する、という体験そのものが、別の手術にも生きてくる。
ひとつとして同じ身体、同じ病気はないので、同じような手術でも予測不可能な状況に陥ることがある。そのとき、過去に苦労した体験が大きければ大きいほど、突破するための道筋が見えやすい。

私がまわりの人に伝えたいのは、手術の手順のような「情報」ではなく、こういう「へこたれない気持ち」のようなものである。これは、教科書を読んだり、ネットで情報収集することでは得られない。

・・ただ、若い人にはベタな、血と涙、努力と根性の話になってしまうのかも。

 

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きにいらない

 

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