はりねずみ通信
2016.12.16
だれかに認められる
人間は社会的動物なので、無意識であっても、だれかに認められることを強く望んでいる。
たまにノーベル賞を辞退する人がいるが、ほとんどの人が喜んで受けとるのは、認められることに大きな意味を感じているからであろう。やっぱり、ひとから褒められたり、がんばっていることを評価されることはうれしい。
ところが、こういった欲望(と言っていいかどうか?)には、際限がない。
もっとうれしく感じたいから、ますますがんばる。
けれど、最終的には人の評価に因る喜びであるから、満たされないことも多い。
人を認めたり、褒めたりすることは基本的にはよいだろう。
(心理学者のアドラーは、これを「望ましくないもの」とした。褒めることは、相手をコントロールすることであり、自分の土俵で相手を評価することになるからである)
でも、自分が人から認められることを目標にするのは、危ういことだ。
聖フランシスコのアッシジの祈りには、こう書かれている。
”主よ、慰められるよりも慰め、理解されるよりも理解し、愛されるよりも愛することを求めさせてください”
慰められたい、理解されたい、愛されたい。
それが人間の本質である。だからこそ、これは祈りなのだ。
人を褒めたり、認めたりする者となりたい。
でも、人から褒められたり、認められたりすることを望まないように。
1件のコメント
今日は二頭ありがとうございました。
朝、ハランを預け帰って散歩に連れて行くと塁が動きませんでした。
そのまま車で戻り家に帰ってもノソノソと、いつもと歩き方も私を見る目も違っていて、様子を診ていましたがほとんど動こうとしませんでした。
食欲はあります。 夜は薬が効いてきたのかいつものように、リビングとキッチンをウロウロ巡回しています。
歩き方も昼間と違い私の見る限りは戻ってきています。
安静にして来週レントゲンお願いします。
ハランも食欲ありで完食しました。
今日、待合室で同じ病気だった飼い主さんと会えてよかったです。
色々、話し聞かせていただきやはり、早期治療は大切だと改めて思いました。
その治療、腹腔鏡手術でしていただける先生に巡り会えて飼い主としては感謝です。
まだまだ今からですがよろしくお願いします。
もあの母さん、待合ではいろいろな出会いがありますね。やはり同じ病気の治療をした方の話はとても役立つと思います。そういったコミュニティーがあるといいかもしれませんね。