はりねずみ通信
2016.03.25
進歩
人類は時代と共に進歩している、と一般には思われている。
医学を例にとると、18世紀には麻酔がなかったのでまず手術そのものが(簡単なものを除き)行えなかったであろう。レントゲンの発明はたった100年ほど前。現在動物病院でも普及しているCT装置はレントゲン装置の進化版であるが、1972年発明・・とある。
つまり、現代から見ると100年ほど前の時代に生きていた人々が「かわいそう」に思える。
当時の人の手記や書物を読むと、今だったらもっといい治療ができるのに、と思ってしまう。
高齢になって歯が悪くなれば、余分な歯は全部抜かれ、粗悪な入れ歯をあてがわれる。よい薬がない。ありふれた感染症で亡くなってしまう・・。
そういう事実だけに目を向けると、確かに人類は進歩している。
「進歩史観」というものは強烈に私たちに刷り込まれていて、よりよい方向へ進むのが人類、と普通は思う。
よく思い出すのは、歴史の授業で縄文式土器と弥生式土器の写真が並べられ、
「縄文式土器はやぼったいけど、弥生式土器は洗練されていますね」
と習ったことである。
・・縄文式のほうが、ビビッドで素敵なデザインではないか。
内心そう思った人は多いのではないか。
最近思うのは「人類の進歩」に生身の人間がついて行けなくなってきた、ということ。
ものを考えたり、何かを感じたりすることは、キリストの時代もいまもそれほど変わらないのでは?。
動物はいつでも生身なので、彼らとつきあうことで、私たちが取り戻せることはとても多いと思う。
1件のコメント
看護師として100年前に生きたナイチンゲールを思い出しました。
彼女の考えは今でも通用するというか、今書物を読んでも古い考えとは思えません。しかも、貴族の娘さんで、看護師としての経験は少なかったと記憶してます。
看護の根本的な考えは全く変わっていなくて、どちらかというと、多忙な中で置き去りにされてる所もあるんじゃないかなぁと思いました。
まこさん、ぼくも本当にそう思います。
現代のほうが情報が多すぎて、ひとつひとつの事柄に集中できていないような気がするんです。