はりねずみ通信

2016.06.01

利己と利他

T先生との会話のつづきである。
あるとき、人からこんなことを訊かれたとのこと。
「T先生は、なぜ仕事をするんですか?」
考えた結果、色々な治療法を学んで自分が成長したいから、という答えにたどり着いたのだそうである。そして、そう思う自分自身に少しショックを受けた、とのこと。

「ショックを受けた」という感覚は、私にもよくわかる。
獣医師は動物が好きで、動物の命を助けたいと思いこの世界に入る。飼い主さんや動物のため、という利他の精神が根本にあるはずである。ところが、自分が幸せを感じるのが、自分自身の成長、ということであれば、それは利己的なことだ。

私も腹腔鏡のセミナーや実習に足繁く通っていたとき、こんなことを自問したことがある。
「結局は自分が手術を上手になりたいだけじゃないのか」
自分が留守になると、飼い主さんやスタッフに迷惑がかかる。なかなか成果が出なかった時期でもあったので、「何のためにやっているのか」悩んでいた。

でも、利己と利他はそんなに明瞭に分離できるものなのだろうか。
自分の成長がだれかのためになるのなら、利己的と言えないのでは。

心理学者のアドラーがこんなことを言っている。
人間の究極の目的は、共同体への貢献である。
なぜなら、古代から人はたったひとりでは生きていけない生き物で、仲間と共に暮らすことが生きるためには必須だったからである。
人間にとって一番不幸なことは、自分が好きになれない、自分に価値がないと思うことである。
アドラーは極めてシンプルな答えを用意している。
「私は共同体にとって有益である」
「私は誰かの役に立っている」
そういう思いだけが、自らに価値があることを実感させてくれるのである、と。

アドラーは「幸福とは、貢献感である」とまで、言い切っている。
とすれば、わたしもT先生も、決して利己的ではないと思う。

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よせね

 

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