はりねずみ通信
2018.02.12
ほんとうに学ぶ
学習する、というと「誰かに何かを教えてもらう」ということをイメージする。
近年はとくにそうだが、効率的に学習することが推奨される。たしかに最短距離で目的に到達するのは合理的に見える。
ところが、ものごとの核心的な部分は、そんなに器用に学べないことが多い。
だれも取り組んでいないことや、前例のないものはそもそも指標がないので、道筋をつけることすら困難である。
考えて考えて、考え抜く。
あらゆる可能性をしらみつぶしに当たる。
教える人は、当人が本気で取り組むまでほうっておくか、突きはなす。
そういった教育の仕方もあるはず。手取り足取り教えるばかりが教育ではない。
教える側は、むしろ苦痛であろう。忍耐強く待たなければならないから。
周りの人がなんと言おうと、自分が納得するものを生み出すしかない。
・・ずいぶん抽象的な話だが、最近わたしが必死で取り組んでいることから、そんなふうに感じている。
具体的なことは書かずにおきたい。
あまりに辛かったし、いま得たものは人から見るとたいしたことではないかもしれないから。
「そんなこと、だれでも知ってるよ」
と言われたくないのだ。
自分の中では、問題点を突破する足がかりを得られた、と思っている。
まだ不十分なのは、承知だ。
ただ、ちょっとだけひとりで喜びたいのである。
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