はりねずみ通信

2017.10.11

レッテルを貼らないこと

カズオイシグロさんがノーベル賞を取ったので、新聞にインタービュー記事が出ていた。
「カズオイシグロさんのアイデンティティーはどこにありますか?」
という質問に、こう答えていた。
「日本で生まれたので、日本の文化に親近感もあるし、自分の中には日本人的な部分もある。でも、アイデンティティーのことに関しては、自分ではよくわからない」
出自の質問は過去に何度となく受けてきたはずで、なんとなくうんざりするのではないか。人間の本質を追究する作家にとって、国籍も出生もそれほど大きな意味合いを持たない(とカズオイシグロさんは考えているはず、と私は思った)。
新聞記者は、カズオイシグロの日本人的な部分をクローズアップしたかったのかと思う。
人は他者を簡単に理解しようと思って、わかりやすいレッテルを貼ろうとする。

「猫ピッチャー」という漫画がある。
主人公は猫のミーちゃん。ニャイアンツというプロ野球球団のエースである。猫なのに剛速球の持ち主で、いつもチームに貢献している。ところが周りはミーちゃんを猫扱いする(あたりまえだけど)。それがミーちゃんは不満で、「かわいいねー」などと言われると怒る。
ミーちゃんがプロデビューしたとき、投球練習の相手をする捕手たちは「なんだ、猫か」と馬鹿にした態度を取った。
ところが一人だけ、ミーちゃんを普通の投手として扱った捕手がいた。
「お、いい球だね」
「もっと低めを狙ってみて」
この捕手とはそのあとも信頼関係が続くことになる。ミーちゃんは、猫だというレッテルを貼らずに見てくれたことがうれしかったのだ。
(これには、その捕手がメガネをわすれてきて、猫が投げていることに気がつかなかった、というオチがある)

作家なら作品で、投手なら投球で、音楽家なら音楽で。
じぶんでも知らず知らずに他者にレッテルを貼っていないか、お手軽に理解しようとしていないか。
そうならないようにしたい、と思った。

IMG_7086
すまし

 

1件のコメント

  • 先生、こんばんは!
    私も、カズオイシグロさんを日本人の記者さん達が「日本人として・・」と質問しているのを
    聞いて、なんと愚問を・・と思って聞いていました。。

    BUHI秋号、拝見しました。
    先生も、フレブルさんも、とても自然で素敵でした。。
    金井先生に診察して頂いている私達も
    何となく誇らしく嬉しく拝読させて頂きました。。
    ブログに載せてもよろしいでしょうか??

    それと、今日の記事の「ニャンアンツ」には
    思わず、ニッコリしました(^^)

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